朱夏
今野 敏 さんの 「朱夏 (新潮文庫―警視庁強行犯係・樋口顕 (こ-42-2))」を読み終えました。
ここで特にこの本の内容、感想を書くつもりはないのですが、最後に天童の台詞が気になりました。
「私ら大人が自分たちの生活にもっと自身を持てばいいんだ。青春なんざ、くろくらえだよ。いいか、青春の次には朱夏が来る」
「朱夏の夏。燃えるような夏の時代だ。そして、人は白秋、つまり白い秋を迎え、やがて、玄冬で人生を終える。玄冬とは黒い冬、死の事だ。最も充実するのは夏の時代だ。そして、秋には秋の枯れた味わいがある。青春ばかりがもてはやされるのはおかしい」
「青春」は一般によく使われる言葉ですが、ではいったい幾つから幾つ位が青春なのかと改めて考えると答えに詰まります。
高校生であれば青春でしょう。
三十代の前半は青春と呼んでよいのでしょうか。
万年青年という言葉もありますから、まだ自分が確立できず模索しているようなら青春時代と呼べるのかもしれません。
では、このタイトルにある「朱夏」というと、身を立て、惑わず突き進み自己実現を図る時期と考えることができるのではないでしょうか。
そうすると、人生の最も充実する時期、30代から50代というかなり長い時期を指しているようです。
人生の夏であり、人生の真っ盛りの年代。
前半は、子育てにおわれ、与えられ仕事をこなし、徐々に自己を確立し、 一人立ちをする年代で、後半は、今までの成果の刈り取りをし、次の白秋玄冬へつないで行くと考えると、サラリーマンが定年を迎えるとともに終了するのが朱夏といえそうです。
60代の白秋を味わい深いものにするにも朱夏のすごし方にかかわっているということでしょう。
私ももう、朱夏は後半に入っています。
釣りでも枯れた味わいのできる境地に達するためにも、自分の釣りを突き進めていかないとと思った次第です。